青きちのゆるっとLife☆

個性的なプレイトーキン&アニマルアレイのカエル達との気ままな日常を綴ります😁

大地震から1日、新潟もまた


2024年1月1日(月)・元旦。

石川県能登半島震源とする地震により、衝撃的な年明けとなってしまいました。


「令和6年能登半島地震

この大地震により、我がまち新潟も大変な揺れに見舞われ、そしてそれが地割れ、道路の陥没、液状化、家屋の半倒壊などの大きな被害へと繋がりました。


私の住む地域は震度5弱で、家具が倒れるような事は無かったもの箪笥や食器棚の引き出しが開く、高所から多くの物が落下するという、一歩間違えば自身の大怪我にも繋がりかねないような状況でした。


今のところ周囲では目立った被害は報告されていませんが、最初の大きな揺れが収まった後も断続的な余震で、一時はどうなるやらと不安でたまりませんでした。


そして大きな地震ともなると、先ずライフラインの途絶という問題に直結する事にもなります。


少なくとも私の地域は停電とはなりませんでしたが、先ず、ガスの供給が一時停止。
これは後に安全装置の作動によるものと確認。


では水道はといえば、揺れが収まった直後、手を洗おうと水栓(レバー)を上げると異様に水圧が低く、水がチョロチョロとしか出ない。

これは、水道管からの漏水に伴う排水量の急増で、断水、減水、濁水が発生しているとの事でした。




地震が起こる数時間前、昨日1日1日(月)昼前~夕刻までを振り返ってみると……。


その時私は自宅でひとり。

大量に作り置きしていた正月料理を小分けパッキングしたり、前日の食事でそのままになっていたテーブルを片付ける傍ら、1階のリビングで2箇所から届く事になっていた飲料水の配送を待っていました。


いずれも午前中の時間指定で定期配送されるものだったのですが、1箇所目は早くに到着したものの、年末年始の影響でか、正午を過ぎても2箇所目からの配送が来なかった為、2階の自室で読書でもしながら待つ事にしたのでした。


午後2時過ぎ。

指定の時間から大幅に遅れ、2箇所目からの飲料水が到着。

今回はたまたま自宅に居たので、配送の遅延も特に問題にはなりませんでした。



午後3時半頃。

自室を出て再び1階のリビングへ。

軽くコーヒーを飲んだ後、流しに浸け置きしてあった、昼食で使った食器と鍋を洗って片付けて。

1日の家事も全て終えたので、どうせなら早めにお風呂に入ってゆっくり夕食を取ろうかと、バスルームに向かおうとしたその時でした。


突然鳴り響く緊急地震速報

何事かと、慌ててテレビの前に駆け寄ると能登半島地震」、新潟も該当区域に。


少し経てば揺れも収まるだろうかと、とりあえずその場(リビング)に留まり様子をうかがっていたところ……。

段々と揺れの強さは増し、室内の至る場所(高所)から物が落下。

長らく続く大きな揺れに、食器棚の引き出しは大きく開き、もうこれは倒れ込んで来るのも時間の問題かと覚悟し、しゃがみ込んでただただその時が過ぎるのを待つだけでした。


そしてほぼ同時に、テレビの画面には津波警報を告げる文字、避難を強く呼び掛けるアナウンサーの声。

揺れが収まった後も、それは暫く続きました。


あぁ、またしても大変な事が起こってしまった……。


しかし私自身、この時はまだ、震源地となった能登半島新潟県も、どのような様子でどのような被害が出たのかまでは把握出来ずにいたのでした。


やがて時間を追うごとに次々とその様を映像によって知る事となり、改めて地震の凄まじさ恐ろしさを見せ付けられました。


私が人生の約半分の時間を過ごし、一時帰郷の際もなお生活拠点のひとつとしていた新潟市西区それも自身のかつての居住地周辺に大きな被害が広がっているという事実を突き付けられ、言葉も出ませんでした。



地震から1日が経過。
幸いにも大きな人的被害は無く、私自身も、家族親族も友人らも無事でおります。




この記事をお読み下さっている皆さま。

「災害は忘れた頃にやってくる」とはよく言いますが、まさしく不意を突く形で新年の幕開け、それも元旦という日に発生した今回の地震

これから二次的に起こりうるであろう事、また私自身、他にも色々と思う事はありますが、くれぐれも対岸の火事と捉える事なく「万が一に備える」「災害に学ぶ」は勿論、「(政治的な意味を含め)その先を見る」事に目を向けて頂けたら幸いに思います。


今回は何時にも増して長文となってしまいましたが、ここまでお読み頂き誠にありがとうございます。


末筆ではございますが、地震災害により亡くなられた方々にお悔やみを申し上げますと共に、被災されました皆さまに心よりお見舞い申し上げます。